命 -209ページ目

野望と失望の関係

現状維持

これまでの私の自伝を読んで下さった方には私の病気のいきさつや気持ちが大体わかってるだろう。
私はやりたい仕事をようやく見つけ、必死で頑張ってやっと手に入れた

研修期間が辛かろうと、帰りが辛かろうと、私にとっては奇跡的に手に入れた仕事だから必死で頑張れた。そこでしっかり職を手につけ、お金を貯め、やりたい事もやるつもりだった。それが私の野望だったのだ。


それがどうだろう。今の私は。毎日同じ事の繰り返し、できる事も制限され、やりたい事も見失い、一人じゃ何もできない、なんて情けない姿だろう。
外界の事もわからない。これから先もわからない。

私の病気はいつ治るのか? 治るんであろうか。現状を冷静に考えると社会復帰さえ難しい。もう絶望的だ。

今の私がいるのはこうして毎日つづった事を読んでもらうだけ。
他には何の役にもたてずにいる

   生きている実感が沸かない。

見えない彼女と私の関係

気づけば傍にいる

このブログを密かに読んでくれている人がいる。他にもいるが、彼女とは面識もなく、どこかで出逢ったわけでもない。

なのに私のブログを読んで丁寧なコメントをつづってくれている。
私はそのコメントに随分助けられ、励まされている事を彼女はしらないだろう。

知るのはここを読んだ時である。私はこうして画面を通してしか話せない彼女に精一杯の「ありがとう」を贈りたい。そして、同じ経験をしたであろう彼女にエールを贈りたい。

できれば個人的にお話もしてみたいと思っている。果たせない事だが・・・

突然の過食と嘔吐の関係

ある時をきっかけに


突然、1週間程まえから食事に近いくらいの量を口にするようになった。
そして嘔吐・・・のはずが、うまく嘔吐できなくなってしまったのだ
自分としては吐くために食する吐けるから食する事ができる
そのはずだったのに・・・・

そして食する量が次第に増え、ついには普通の食事以上の量を食べるようになっていった。
吐くからにはそれなりの量をお腹に入れる。それも口から出そうになるくらいに。そしてその後トイレへ行くのだが、どうしたものか、急に嘔吐ができなくなってしまったのだ。

私にとっては大変な事である。満腹になってしまった上に、食道が弱っているから消化器官も働きが悪くなっている。
当然、なかなか消化しない。だから苦しい。そしてトイレへ行くが、嘔吐できない。

気持ちがあせり、嘔吐できずに部屋に戻ると自己嫌悪に陥る
これがもう1週間続いている。食べる量は日に日に増え、それなのに嘔吐できない。鬱も停滞しているという時期なのに、精神的に参ってしまう。

食べなければいい話だが、過食にとりつかれて抜け出せない。
嘔吐できずにいく度に、鬱が酷くなる。とにかく辛い。

人と私の関係

私の中で・・・

いつからだろう。人がこんなにも怖いと思うようになったのは。
始めのころはとにかく無差別に怖かった
そして次には色々考え、人(知り合い)に会うのが怖かった。
そうしてるうちに、友達との交流も薄くなる。我が親友は別として

今でもそこそこ仲良くしてくれてる人はかなり限られている。
だが友達と家族は違う。家族なら多少の事でも気にならないはずなのだ。
しかし、最近ある事を感じるようになった。である。母との交流が極端に薄くなっている気がする。

そして私は、何故か怖く感じてるようなのだ。近寄りがたい。もともとそんな頻繁に話す方ではなかったが、最近自分でも感じる程薄い。これは前に書いた「寂しい」だけなのか?いや、違う。寂しいだけでは怖いなどとは思う訳がない。

そこで私は考えた。もしかすると母は限界なのではないか。仲良しの家族を作るのも、私に気を使う事も、むしろ私の存在自体、煩わしく思っているのではないか。そう考えた。やはり私は疫病神ではないだろうか・・・?

そう考えるようになってからはどんどん悪い方へと向ってしまっている。
何気ない事で話しかけようとしても、怖くて話しかけられなくなってしまったのだ。
どうしたらいいのだろう。不安だ。唯一家で話しかけていた存在の母と距離ができてしまった。とても心細い

だから私は母が怖い。そして近づけない。良いたい事も話せない。

光と闇の世界の関係

病気になるまでは・・・

もう少しで正午になる。わたしは今真っ暗な部屋ではんてんを着てマフラーを巻き部屋ソックスを履き、ブルブルと震えている。
はたから見れば家の中にいる様には見えないだろう。

私は真っ青な秋晴れの空が好きだった。でなくとも青い空が大好きだ
そんな日は散歩に限る。何時間でも歩ける、最近の若い人の中では珍しい方ではないだろうか。朝起きたらまずカーテンを開けラジオをON。すがすがしい空気と共に気持ちの良いが部屋を走りぬける。そして爽やかな音楽が流れる。

それが病気になるまでの私の生活だった。今となっては全て過去形・・・
昼夜問わずカーテンは締め切り窓も開けず空気がこもっている。そして日課のラジオも聴かなくなった。私は今までの生活を全て否定してるのだ。

自分のやれる範囲が狭まってしまったと同時に、今まで楽しかった事が素直に受け入れられなくなったのだ。気持ちの良い朝などない。爽やかな風など吹かない。

そして昼間が嫌いになった。皆が動いているからだ。好きな仕事をしたり、汗をかいて働いたり、元気に遊んだり、全てが私にできないことばかりだ。
羨ましいを通り越して恨めしい・・・・・

半年ほど前から抜け毛が酷くなった。薬のせいだろうか。疲れて横になってもすぐ起きてしまう。これは病気のせいだろうか。
一つ一つあげればキリがないくらいにその都度思う事がある。

まともにまっすぐ歩けなくなった。起き上がるのが辛い。自転車がこげない。
ずっと立っていられない。だから家からも出れない。(詳しい事情は他にあるが)

私はこうしてどんどん病気に蝕まれていき、まともな生活ができなくなっているのだ。そして光のあった世界から闇の世界へと進んで行く・・・・・

勉強とその結果の関係

体温

去年の冬は寒かった。当たり前だろうと思うだろう。私もそう思う。
だが、最近色々と自分に近い病気などを調べていくうちに、
発覚したものがあるのだ。  それが寒さ。去年の私は異常に寒がりだった。

というより寒さが消えなかったのだ。外にいれば当然寒いのだが、
室内に入って、更に暖房に当たり続けても体の震えが止まらなかったのだ。
それはもう普通ではないくらいに。体が少しでも温まらなければまともに口もきけないくらいだった。

私達摂食障害を患ってる人間達は体温の調節ができず、常に低いらしい
だからだったのか!と、私は頷いた。

確かに、嘔吐した後は途端に体が震えるくらい寒くなる
一つ勉強になった。でもその冷えた体をどう温めればいいのかはまだわからない

父の思いやりとその結果の関係

始まりは病気から

私が病気を家族にカミングアウトしたての頃、家族は戸惑っていた。
それもそのはず。身近にこんな病気をした人がいなかったため。

母は元々それなりの知識があり、それにつけ加え色んな本を買い込んでいたから大体の事は把握してくれていた。が、しかし父は別だった

病気だからいっぱい美味しい物を食べさせれば治る、とでも思ったのだろうか、休みの度にとんでもない量の食料を買い込んできた。
それも、普段誰も口にしないような輸入菓子やら何やらなのだ。
カロリー等も一切無視したものばかり、私は驚いた。休みの度にこの量はキツイ・・・・

私は父の思いやりを無駄にしないため、食べては吐き、食べては吐きの繰り返しだった。だからこの時期の過食嘔吐はほんとに酷かった。
おいしく食べれればいいのだが、私の場合は吐かなければならない
そこが問題なのだ。

いや、問題なのは父の思い込みかもしれない。そもそも私の病気がどんなものかをわかっていない。何を回避しなければならないのかを、全くと言っていい程わかっていないのだ。

このままいくと、私の摂食障害は治らないだろう。恵まれすぎた環境がゆえの病気になってしまった。途方に暮れる。
母が散々言って聞かせてくれたおかげで、食料の量が減った。
とはいっても、買い込む事には変わりないのだが・・・・

そうすると今度父は、飲み物に走った。色んな飲み物を買っては私に飲ませるようになったのだ・・・・
飲み物ならまだマシである

これは病気になった本人が悩む問題なのか・・・?

新年と病気の関係

年が明けても・・・

私の病気は変わらず体内、もしくは脳を蝕んでいる。
新年明けて一発目で過食嘔吐、過食の勢いはとどまる事を知らない。
そこまでは去年と同じだが、問題はここからである

うまく嘔吐ができなくなってしまったのだ。どうしたものか。
嘔吐するつもりでお腹に散々入れているから、嘔吐できないとそれは苦しい。苦しいからトイレに行くのだが、やはり出てこない・・・・

そして、お正月だから家に食べ物が多く存在する。
もちろん手が出てしまう。見えているものを我慢するのはとても難しいのだ
そして、一口のつもりがプツンと切れて過食に走ってしまう。
それも最大級の大食だ。

それは苦しくて気分が悪くなる程。なのに嘔吐ができないとなるとこれはかなり辛いものがある。だから仕方なく胃腸薬を飲み、横になる。ここですぐ寝てしまうから食べた分が脂肪になる。悪循環なのはわかっているが、自己嫌悪におちいってるのだから寝逃げしかないのだ。これが三が日続いてる。

そして相変わらずの気落ち、倦怠感、イラつき、もやもや、頭痛、腹痛に加え、最近では「離脱感」まで感じるようになってきた。
この離脱感が危ない、と自分で思っている。
煙草に火をつけたはいいが、きずけば火が根元まできているのだ。
パソコンの画面を見た静止状態でかなりの時間が経っている事もある。

ぼーっとしているのではなく、確実に離脱しているのだ。
何故だか確信がある。そして幻聴もたまにある。
もしかしたら鬱を通り越して、統合失調症なのではないか、と思ってしまった。
幻聴も、「死ね」「切れ」などと誰かわからない声で私を後押しするのだ。

昨年末に薬が少し変わった。強くなったのだ
その副作用が頭痛と吐き気である。これはもう我慢するしかないと腹をくくっているからたいした問題ではない。(辛いに越した事はないが)

今気になっているのはやはり「離脱感」である。幻聴はそんなに頻繁ではない。こうしてタイピングしてる最中にも、気ずけばかなりの時間が経っている場合もある。これはなんなのだろう。

バカと風邪の関係

昔から・・・・

よくバカは風邪をひかないというが、良く考えてみたら
バカだから風邪を引いた事に気ずかないんではなかろうか??

実際私は何年もひいていない。多少調子が悪くとも
熱は測らない。何故かというと、もし熱があった場合、思考回路が働き、
風邪」と判断してしまうからだ。

だから熱は測らない。更に、どんなに部分的な不調があっても
薬は飲まない!これは物心ついた頃からの私のポリシーである。
なるだけ薬は飲まない。だからインフルエンザにかかった時も
抗生物質は飲まずに自然治癒で完治させた。

これはある意味自慢にもなろう。

病は気から」とはよくいったものだ。

だから私は風邪を引いても引いていないと思い込み自然治癒力で
完治させてしまうのだ。

わたしは「バカ」である。だから風邪などひかない。
なんて単純な人間なんだろう。だが、事実だ。

逃亡と解決の関係

1番の解決法

時折無性に、死にたくなる時がある。いや、嘘だ。いつも思っている
こんなお正月や連休、週末には特にだ。それはもう耐え難い。
体をかきむしってあちこち切り刻んで死にたい

それもこれもあの人間のせいである。私は傷ついて病気にまでなってしまったのに、あの人間はのうのうと生きてる
そして週末にはきっと友達と楽しく遊んでいるであろう。
連休があれば、いつものメンバーでどこかへ旅行にも行ってるであろう。
それに引き換え私の生活は一体なんだ?
十何種類もの薬を1日40個も飲んで、ひたすら寝るだけの日々

やりたかった事も不意になり、やりたい事など制限され、外にも出れない
親友と逢う事すらできない
日によって体調も変わるし、それに伴って精神的にも崩れる。

私が死ねば、自分がどれ程の事をしたか、あの人間はわかってくれるだろうか。私の死によって人の苦しみがわかる人間になれるだろうか

私は絶対許さない。死んでも許さない。

向こうにも死んで欲しいと切に思っている。死んで詫びて欲しい。
そして「」にまで追い詰められる恐怖を知って欲しい・・・・・・!
自分のしてきた事の大きさに気づいて欲しい。

結局苦しむ結果になったのは私。口ではなんとでも言えるだろう。
申し訳ない事をした。もうあわせる顔がない」。バカだ。
人に対しての償いが「何もしない事」だと思ってるらしい。
ほんとにどうしようもない人間だ。周りには「私が精神病になった。
とでも言いふらしているのだろう。

だから私は外に出る事ができない。皆が私を狂った人、と見てるように感じるからだ。共通の友達も全て切った。連絡がきても無視
あの人間に、なんて吹き込まれているかわからないからだ。
だから私は、友達さえ失ってしまった。そんな今でも連絡をし続けてくれる人こそほんとの友達だと思っている。

たくさんの失くしたモノ全て返してほしい。このままでは私は社会復帰すらできない気がする。

  「死ぬ」これがあの人間にとって1番ダメージが大きいであろう
だから選んだ。他に方法はない。私は絶対許さない。